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賢い着こなし
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こんにちはikeです

おとなしく寝ています
ここ数年はアパレル業界の業績不振が目立っているらしいが、本物の高級ブランドの業績はそんなに変わらんと思う。
バブル期に猛威を奮ったDCブランドなんてどうなったのだろうか?
まったく興味がないのでその末路はわからんが、全盛期の売上が凄かっただけに、売上の減少も激しいと思う。
当時の私はリーマンだったが、地味なトラッドで肩身の狭い思いをしたもんであるが(笑)

私が自分なりのスタイルを確立したのは大学時代だったが、その当時は基本的にアメリカナイズされたカジュアルしかなかったと思う。
それ以外では、サーフインムーブメントに乗った訳のわからんスタイルも流行ったよね。
これはかなり不気味であった。
まぁ、私はlevi's にアロハという王道スタイルだったから、そんな格好はしなかったね。
つまり私のスタイルなんて、スタイルと呼べる程のもんじゃないわけだ。
多少は崩しているものの、当たり前過ぎるくらい当たり前なアメカジなのである。
それでもリーマン時代はスーツを着なきゃならんわけで、私は地味なトラッドで過ごしていた。
別にスーツスタイルが好きなわけじゃないが、着なきゃならない以上はキッチリ着こなしたいものだ。
なのでルールに従ってコーディネートしていたのである。
ただ、腹が出始めてからはサスペンダーを愛用していたね。
楽だからである。
それくらいしか着こなしをアレンジしなかったけど、目立たない部分だからね。
スーツの生地も地味、ネクタイはドットかストライプ。
決まりきったスタイルだけど、トラッドなんてそんなもんだろう。
ところが、当時の流行りは気違いじみたものだった。
まぁ、廃れるのも無理はないと思う。
カジュアル系ならそれも悪い冗談で済むが、ビジネススタイルじゃ困るよね。
なんか凄い時代だったんだな。

最近の若者は身なりに気を使わないと言われているが、私はそんな事はないと思う。
無駄なお金を使わなくなっただけだ。
当たり前のスタイルに気が付いただけなんだろう。
しっかりした質の良いものを大事に着たり、使い捨てと割り切った着こなしをしたり、賢いお洒落をしているようだ。
これじゃ...3流ブランドは商売にならんよな。


 

| じじいの独り言 | 07:59 | comments(0) | trackbacks(0) |
安定の代償
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こんにちはikeです

乾いた風に揺れてます
私たちは誰もが日常生活の中で合理的な行動パターンを選び、そしてそれを実践していると思う。
朝の通勤電車に乗るのでも、乗り換えに便利な時間を選び、寝坊でもしない限り同じ時間に出社するだろう。

確かに効率は良いが、逆に考えれば自らが平凡で刺激がない生活を選んでいるのである。
そのくせ、酒が入ると波瀾万丈の人生を願って愚痴を言うんだよな(笑)

私は25年のリーマン生活の中で滅多に遅刻をせず、基本的な勤務態度は真面目だったと思う。
まぁ、当たり前の事なのだが、これは私が小心者だったからだろう。
仕事上では乱暴狼藉の限りを尽くしていたから、周囲に付け入る隙を与えたくなかったのである。
なので、朝の通勤時には同じ電車に乗る事が多かった。
別に好きでやっていた事じゃないが、何も考えないで済むので楽だったのは事実である。
まぁ、合理性なんて概念は楽をするためのものだから、当然っちゃ当然だよね。
但し、そんな後ろ向きな概念の中から新しいイノベーションは生まれないだろう。
そんな大きなテーマは別にしても、あまりに安楽を追求し過ぎれば私たちの日常は退屈なものになってしまうよね。
ふと思えば、私たちは無意識のうちに刺激より安楽を選択しているわけだ。
その成果として、平凡な日常生活を得ているのだろう。
私は25年もそんな怠惰な生活を営んでいたが、今では不安定であるが刺激的な生活を送っている。
私は怠け者のくせに刺激的な生活を求めているのだろう(笑)
怠ける事は快楽だが、刺激的な生活もなかなか捨てがたいものだ。
私はそんな相反する要素を両立させたいのだろう。
週に5日は飲み歩き、2日はだらだら休養するくらいが理想的だよね。
たぶん、私はそんな生活を願っているのだろう。
幸いにもケダモノじみた体力は在るし、まだまだ遊びたいと云う意欲も残っている。
そんな難しいテーマにトライするのも可能だよな。

長いことリーマンをやっていると、人間は怠け者になると思う。
怠け者と言うより無気力になってしまうのだろう。
考える事を放棄するのは楽だからである。
私は怠け者だけど、自分の事は自分で考えたい。
少なくとも、それくらいの自覚は在るのである。


 

| じじいの独り言 | 08:09 | comments(0) | trackbacks(0) |
マナーの応用
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こんにちはikeです

薬缶
私はリーマン時代に何の目的も持たず、ひたすら遊び呆けていたのだが、そんな怠惰な生活の中でも1つくらいは身に付く事があるもんだ。
私は鉄火場のマナーを覚え、遊びのセンスを身に付けたのである。
普段の生活では役に立たんけど、それなりの人たちとお付き合いをするなら、これくらいのセンスは必要であろう。
まぁ、それがアロハ屋に必要な知識とは思えんのだが(笑)

私は学校教育から早くに脱落したのだが、その代わり子供の頃から遊びのマナーを学んだ。
下町の口うるさいオッサンどもに鍛えられたわけだが、これは後になってずいぶん役に立ったと思う。
お陰さまで、私は年上の先輩方に可愛がってもらえたし、高額なレートの博打にも平気で参加できた。
そして、そんなお付き合いは長く続いている。
私は単なる知識として遊びのマナーを覚えたのだが、そんな先輩方とのお付き合いの中で、それを応用するようにしていた。
つまり、場面に応じて運用を変えたりするわけだ。
口うるさい先輩方にも、そんなオリジナリティーが気に入ってもらえているようだ。
私はそんな知識を暗記するだけでなく、ちゃんと根本的な原理を解った上で応用していたのである。
知識として知っているだけでなく、それが実戦で応用出来ているわけだ。
私にも人並みの知的能力は在るのだろう(笑)
ふと思えば、この能力を学究の道に活かせば、それなりに社会貢献が出来たに違いない。
そんな私の潜在能力に気が付かなかったのは、当時の担任の落ち度であろう。
まぁ、与太話はさておくとして、私は自分の能力を信じて腕一本で遊びの世界を生きている。
もちろん、私には運もあったし、素晴らしい先輩方に出会えたからこそ、こうやってのうのうとブログなんぞを書いて居られるのだろう。
私は夜の巷で学び、そして育ってきた。
リーマンをやりながらも、そんな遊びの世界を忘れずに2重生活を続けていたわけだ
そんなキャリアは今でも仕事に活かされていると思う。
遊び心がなくてはアロハ屋は出来んのである。

先日もハワイでお世話になった先輩から電話があり、近いうちに赤坂で会う事になった。
チップを渡す時のさりげないマナーやホテルのレセプションの使い方など、私も参考にさせていただいている大先輩なのである。
この先輩から教えられた事は多い。
そして、それは私の知識になっている。
次はその知識を自分なりにアレンジして先輩にお返ししたいと思っているのである。


 

| じじいの独り言 | 07:09 | comments(0) | trackbacks(0) |
2017年07月21日のつぶやき
09:32
不謹慎な車の話 https://t.co/cVQT3ZeMQU #jugem_blog
| じじいの独り言 | 02:41 | - | - |
不謹慎な車の話
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こんにちはikeです

酔っ払いがくつろいでいます
昨日は近所まで買い物に行くつもりで車のエンジンをかけたら、スターターが妙に愚図っていた。
猛暑でバッテリーが甘くなっていたのだろう。
これじゃイカンと思ったので、近所での買い物を取りやめてドライブがてら都内まで買い物に出掛ける羽目になってしまったね。
情けない話だが、車で出掛けると酒も飲めん。
仕方なく・・・知り合いのお店にも寄らずにすごすごと自宅に引き返すしかなかったのである。

ふと思えば、ここ最近の私は車で遠出をしなくなった。
私は別にドライブが嫌いでもないし、むしろ若い頃から車の運転は好きな方であるが、それでも最近は車に乗る事が激減した。
理由は簡単で、飲酒運転に対する罰則が強化されたからである。
罰則が強化されたどころか、飲酒運転で捕まろうものならその人間の人格まで剥奪されてしまうからである。
別に私は飲酒運転を励行しているわけではないし、自分でも飲酒運転はしないが、いくらなんでも飲酒運転をした人間の人格を全否定する事には抵抗が在るのだ。
つまり、犯した犯罪に対しての罰則が厳しすぎると思うのである。
同じ殺人を犯すのでも、居眠り運転ならその罪を償えばいいのだが、飲酒運転だと社会から抹殺されてしまうのではちょっと釣り合いが取れんと思う。
どちらも同じく殺人は殺人なのであるから、その罪を償うのは当然だが、その罪を償うなら同じ罰則であるべきだ。
私はここ10年ばかり飲酒運転はしていないのだが、それどころではなく運転する事自体が嫌になってしまったようだ。
そんな道路交通法の改悪(???)に抵抗が在るのと、飲酒を忌み嫌う社会の風潮が嫌いなのである。
確かに飲酒運転は犯罪だと思うが、すべての犯罪は同列に捌かれるべきだと思う。
飲酒運転も暴行傷害も、果ては金融詐欺だって同じ犯罪であろう。
犯罪を犯したならその罪を償えばいいだけの話で、それが飲酒運転だからと云って特別扱いをする必要は無いと思うわけだ。
どうも、そんな社会の風潮に私は納得出来んのである。
そんな事が原因で私は車に乗るのが嫌になり、今では近所の酒屋にビールを買いに行く時くらいしか運転しないようになってしまったわけだ。
これこそ宝の持ち腐れであるが、それでも運転したくないものは仕方がない。
これでゴルフでも再開すれば嫌々ながら運転するのだろうが、そうでも無ければおベンツは単なる飾り物のままだろうね。
なんで日本の社会は車嫌いになってしまったんだろうか・・・

私たちの世代は車というモノに特別な憧れと愛着を持っていると思う。
そんな世代の私でも、ここ最近は車に対する情熱が薄れてきている。
なんか社会の風潮からしても、ガソリンエンジンの車は環境破壊の元凶みたいに思われているし、車を持っているだけで社会悪に加担しているように見られてしまう。
この風潮が良いか悪いかはわからんけど、そのうちもっと大きなトレンドになるような気がするね。
まぁ、私はこれからも車に乗り続けるとは思うが、その利用頻度は下がる一方なんだろうね。


 

| じじいの独り言 | 09:32 | comments(0) | trackbacks(0) |
旅支度は軽い
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こんにちはikeです

本当に頭悪そうに見えます
ここ数年でキャスター付きのキャリーバッグを持っている人の姿を見掛ける事が増えた。
電車内や繁華街でも見掛けるから、その殆どは来日した観光客の姿なんだろう。
そんな荷物を持って移動するのも大変だろうと思う。
私は荷物を持ってうろうろするのが大嫌いで、常に旅支度は軽くしているのだが....

旅行の際に大荷物を持っていく人は多いが、中途半端に旅慣れた人なんだろうと思う。
車で移動するならいいが、ハンドキャリーなのに大荷物だったりするからビックリだ。
どうせ中身はガラクタばかりに違いない(笑)
私は基本的に手持ちのバッグ1つで何処にでも出掛けるね。
荷物を抱えて旅行したら、大事な瞬間を楽しめないじゃないか。
ハプニングに対応するためには、常に身軽であるべきだと思う。
荷物が増えれば行動範囲が狭くなるよね。
最近の傾向として、来日する観光客に限らず、旅行者の荷物が増えていると思う。
未開地にでも行くのなら、そりゃワクチンやら食料やらで大荷物になるだろうが、普通の観光地に余計な荷物を持って行くかね?
私の場合は最低限の着替えが有ればいい。
買い付けた商品が大量に有ればホテルから航空便で送るし、多少はお金がかかってもたいていの事はホテルに任せれば済むじゃないか。
どうにもならんのは、急病になった場合だけである。
それにしても、キャッシュさえあればどうにかなるもんだ。
危なそうな国を旅行するなら、ブランド物の水を飲んでりゃ大丈夫だろう。
ある程度の旅行のキャリアがあると、過去の経験からして荷物が増える傾向があるが、私は真逆である。
食事にしても基本的に現地食だし、生活スタイルもその土地に合わせるようにしている。
後はのんびりしていればいい。
仕事の出張じゃないのだから、気楽に楽しむべきだよな。

ここ数年はハワイもご無沙汰だが、私はハワイに居る方がリラックスしていると思う。
ひたすらのんびりして居られるからである。
あの環境は日本より素晴らしいし、私に合っているのだろう。
可能であれば移住したいくらいである。
観光地なので生活コストの高さは仕方ないと思うのだが、それを上回る素晴らしい環境なんだよね。


 

| じじいの独り言 | 07:02 | comments(0) | trackbacks(0) |
誰も幸せになれない?

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こんにちはikeです


私たちは誰もが幸せになろうと努力していると思うが、その結果を出せる人は少ないと思う。
実に不思議な現象であるが、これは歴然たる事実である。
では、逆に考えてみたらどうなるのであろうか?
つまり、不幸になりたいと心底願えばどうなるのかと思うのだが、たぶんその場合には....確実に不幸になるんだろうね。

さて、私たち人類共通の願いは『幸せになる事』だと思う。
ただ、その幸せの定義は共通ではない。
つまり、私たちは自分なりの幸せを得るために、自分で努力せにゃならんわけだ。
まぁ、それは当然の事だろう。
そして、そんな他人の幸せなんかには誰も関心が無いだろうから、妨害する人も居ない筈だ。
それなのに、私たちは幸せになれないのである。
私は若い頃から社会の底辺を眺めているが、実際に幸せになった人は数少ない。
これはリーマン社会でも同じだし、そこそこの資本家でも不幸な人はいくらでも居る。
私はその原因がわからないのである。
1つには求める幸せのレベルがあると思う。
私たちは全員が松井やイチローになれるわけじゃない。
そんな現実を不幸と思うのも問題じやないかね?
まぁ、アロハ屋なんて低いレベルで満足している私もどうかと思うが、変に勘違いしている奴よりはまともだろう。
そりゃベントレーを乗り回し、美女と遊んで暮らせりゃもっと幸せになれるかも知れん。
でも、そこまでやらなくとも、私は今の暮らしで最低限の満足はしている。
上を見てもキリが無いじゃないか。
とは言うものの、人間の欲望には限りがないわけで、私だって小さな不満はいくらでもある。
そんな不満が積み重なると、間違いなく私たちは不幸になってしまうのである。

もし、私たちが幸せを追求するのなら、ある程度の幅を持たせるのが現実的な方法だと思う。
つまり、松井になると願わず、単なるプロ野球の選手になる事を目標にすればいい。
それなら打率は上がる筈だ。
これで少しは幸せになれるじゃないか(笑)
私はアロハ屋になれただけで満足しているチンピラなのかも知れんな(笑)


 

| じじいの独り言 | 09:50 | comments(0) | trackbacks(0) |
2017年07月18日のつぶやき
04:47
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| じじいの独り言 | 02:41 | - | - |
どうでもいい生活習慣
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こんにちはikeです

私は夏季限定の生活習慣として、朝の涼しい時間帯を有効活用するために可能な限り早起きをするようにしている。
別に早起きしたからと云って、何のメリットがあるわけじゃないが、それでも夏の朝は気分がいい。
早起きしてもやる事はいつもと同じで、リビングでポットのお湯を沸かし、仏壇にお茶をお供えして線香をあげるだけである。
そして・・・コーヒーを飲みながらPCに向かい、ブログのネタで悩むだけなのだ(笑)

私は特に信心深い方では無いし、むしろ普段の行動は酒ばかり飲んでいるわけで、とてもじゃないが真人間とは思えん。
そんな私であるが、毎朝仏壇に手を合わせるようにしている。
こればっかりは欠かさず続けている生活習慣になっているわけだ。
こんなことを始めたのは、25年前に親父さまが亡くなってからである。
それまでは仏壇の中には私が面識のない父方の祖父母の位牌しかなかったし、実際のところ私の親父さま自身が仏壇に手を合わせるなんて事はしなかった。
せいぜい命日と元旦くらいであったと思うし、私もそれに習っていたわけである。
ふと思えば、なかなかの極道親父であったと思うな(笑)
ところが、そんな親父さまが亡くなってからと云うもの、私は毎朝仏壇に手を合わせ、線香をあげるようになってしまったわけだ。
実際のところ私は無宗教な男だし、仮に仏教の経典が正しかったとしたら、人間は死んで49日目に転生するわけである。
ならば、仏壇の位牌を拝む事には何の意味も無かろう。
それでも私は仏壇に手を合わせ、必ず法要は執り行うようにしている。
まったく合理性を欠く行為なのだが、25年も続けていると習慣になってしまうのだろうね。
今では嫁さんの位牌もあるので、私は毎朝報告する事が増えた。
仲間の近況や自分の商売など、別に意味の無い事ばかりである。
ほんの1分程度の習慣だが、これは気分の良いものだ。
まったく宗教的な意味は無いけれど、妙に充実感があると思う。
私たちの生活の中には、1つくらいこんな行為があってもいい。
これは私の密かな楽しみなのである。

我が家の仏壇には位牌が3つ並んでいる。
祖父母と親父さま、そして嫁さんの位牌である。
それ以前のご先祖さまの位牌は、菩提寺の本堂に在るのだろうが、所在はわからん。
いずれは私もこの中に並ぶが、私は嫁さんの位牌に一緒にしてもらいたいよね。
そうでもしなきゃ、位牌ばかりが増えてこまるだろうからさ。

 

 

 

| じじいの独り言 | 07:49 | comments(0) | trackbacks(0) |
2017年07月17日のつぶやき
13:08
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