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祝儀と不祝儀
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こんにちはikeです。


今年は早々から訃報続きのスタートだったが、ここにきて開店の話が続くようになった。
4月に入ってから、宇田川町の小料理屋、虎ノ門のレストランバー、そして所在地不明の雑貨店と3件のお店がオープンしたわけだ。
もっとも、雑貨店は明日オープンなので、友人にお花を頼んである。
しかし、不祝儀続きの後に祝儀が重なると頭が混乱するよな。

さて、この3件のうち、私は宇田川町の小料理屋にはプレオープンで顔を出したが、まだ虎ノ門には遊びに行っていない。
開店のバタバタが収まった頃に寄ってみようと思っている。
そして、雑貨店の方には友人に頼んでお花を贈る事にしてある。
とりあえずの対応としてはこんな事しか出来ないが、今年は祝儀と不祝儀で大変な事になりそうだ。
こんな年もあるのだろう。
祝儀と不祝儀は両方とも疎かには出来ないけれど、やはり優先権が在るのは不祝儀の方だと思う。
ご祝儀は後からでもどうにでもなるが、不祝儀だけは「待ったなし」でやらなきゃイカンからである。
私は妙に義理堅いところがあって、祝儀と不祝儀だけは欠かさずに参加するようにしている。
正直のところ、それ以外のお付き合いは「どうでもいい」とすら思っているわけだ。
普段は「付き合いの悪い奴」と思われたってかまわん。
だが、お弔いやお祝いには参加するべきだよね。
これは下町育ちの生活の知恵なのかも知れんな 。
さて、5月7日にアロハじじい2号の49日法要があるが、不祝儀の方はこれでいったんは片が付く。
いまだにじじい2号は夢に出てこないが、そろそろ天国暮らしも一段落した頃だろうから、出てきてほしいと思っている。
そして、もしやり残したことがあるのなら、それは私に託してほしい。
何とかできる範囲で私はその夢(???)をかなえてあげたいと思っている。
今年は自分のための1年じゃなくて、そんなお付き合いを優先するべき年なんだろう。
新たな飛躍は来年の楽しみに取っておけばいいだけで、今年は周囲の祝儀と不祝儀のために働くしかなかろう。
まぁ、この嵐もいずれは収まり、平凡な日常が戻ってくるはずだ。
それまでの辛抱だよな。

さて、今日はこれからじじい2号のところにお線香をあげに行ってくる。。
彼がやり残した事は現時点ではわからんが、それでも私は何かをやり続けなきゃならん。
祝儀の合間に不祝儀もこなすだけであろう。
それでも、何かが少しずつ変わると思う。
私は祝儀の比率が高まる事を願って頑張るだけである。


 

 

| じじいの独り言 | 18:55 | comments(0) | trackbacks(0) |
酒のマジック
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こんにちはikeです。

Pink
私はハシゴ酒が大好きで、仲間と飲んだ後に1人でふらっと馴染のバ−へ飲みに行く事が多い。
その時点でヘロヘロになっているから何杯も飲まないが、それでも最後は1人でじっくり飲みたくなってしまう。
一説に拠ればこれはアル中の初期症状らしいが、今のところ私はアル中にはなっていない。
その理由はわからんが、たぶん私の肝臓は特注品で頑丈に出来ているからなのだろうね。

今年はろくでもない出来事ばかり私の周囲で起こっているが、その件数に正比例して私の酒量は増えていると思う。
何をするにも、先ず酒を飲まなきゃ始まらないのである。
今はそんな症状も多少は和らいでいるが、それでも一時期はけっこう飲んだと思う。
こんなちっぽけなネットショップのオヤジが大事なWebマスタ−を失ったらどうなるかは、誰だって容易に想像がつくだろう。
正直のところ、Webサイトの運営が止まってしまうわけだから、これじゃ商売にならんわけである。
まぁ、それでもわからんなりに少しずつサイトのオペレ−ションは復旧している。
昨日は新規でレンタルサ−バ−を契約し、現状のサイトのデ−タを流し込む準備を始めた。
だが、そんな作業をやればやるほどストレスが生まれるものだ。
たかだか5件のレンタルサーバーを契約しただけでこれである。
そんなわけで、昨夜はついつい飲みに出てしまった。
あまりにバカな私である。
だらだら飲み歩いて、最後は馴染みのバーで飲んだのだが、朝の目覚めは悪くない。
酒の効果でストレスも解消されたのだろう。
ふと思えば、この状況が続くならば私はストレスで精神に異常をきたすか、酒で肝臓を壊すかのどちらかであろう。
現在の状況ではどちらも正常であるが、この先はわからんよね。
ネットショップを続ける限りは、常にストレスとの闘いである。
そして、ストレスを緩和するためには酒が必要だ。
これじゃ、どちらにしても厄介な状況になる。
まさに『行くも地獄、退くも地獄』じゃないか(笑)
私はバカだから、行くしかないのだが。

私は暗黒のリーマン時代を酒で乗りきった。
そして、ネットショップのオヤジにましたなってからも、酒に救われている。
どっちにしても飲むわけだ。
私は楽しくて飲むし、悲しくても飲む。
それならいいが、ストレス解消で飲むのだけは勘弁してもらいたいのだが。


 

 

| じじいの独り言 | 05:19 | comments(0) | trackbacks(0) |
2017年04月20日のつぶやき
09:11
楽隠居への道のり https://t.co/zPzDiRze8J #jugem_blog
| じじいの独り言 | 02:41 | - | - |
楽隠居への道のり
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こんにちはikeです。

セルマーは美しいです
私は早く楽隠居して趣味の世界に生きたいが、そのためにはやらなきゃならない事が残っている。
先ずは経済的な目処を付け、次に浮き世のしがらみを片付けなきゃならんだろう。
それらの条件をクリアしたら、すぐにでも楽隠居は出来ると思う。
だが、私は70歳の時点で果たさなきゃならん約束があるから、しがらみを整理するには最短でもあと13年かかるのだけどね。

私はリーマン時代から、さっさと現役を引退して楽隠居をしたいと思っていた。
まぁ、今でもご隠居さんみたいな生活を送っているが、まだ仕事はせにゃならんし、純粋に趣味の世界に没頭できる環境じゃない。
楽隠居をするための経済的な問題だけなら今でもどうにかなると思うが、私の日常は浮き世の義理と人情で固められている。
先ずはそれらの問題を片付けなきゃならんと思う。
友人とのお付き合いは私の大事な財産であるが、それはその反面でしがらみを生む。
それらをきちんと整理するするのが先決なのだろう。
その中には自分の家庭に関わる問題だって残っている。
総領息子が代々のお墓を放棄するわけにはいかんし、元はお嬢様育ち(???)のお袋さまだってまだ健在だ。
つまり、私は現実的に自分のエゴを押し通せない状況なのである。
私は自分勝手な性格なのだが、これでバランス感覚も持っている。
そんなバランス感覚が、今のところ私の暴走を食い止めているのだと思う。
だが、そんな忍耐だって限界があるわけで、いつまで続くかはわからんわけだ。
もし、私の忍耐が限界を超えたらどうなるかと云えば、別に逆切れして暴れ出すわけではない。
むしろ、すべてを放棄して山奥に籠もってしまうだろう。
そうなれば気が楽になるし、もう完全な世捨て人みたいに過ごせるじゃないか。
私としてはそれでもいいけど、それじゃ趣味の世界に没頭するための環境も整わないだろう。
私は楽隠居したら思いっきり音楽に没頭してみたいと思っている。
朝からサックスを吹き、ついでにドラムを叩きたい。
そしてヒマを見つけて車を整備し、波が良ければサ−フィンもやりたいところだ。
とにかく、自分の世界に籠もって集中する時間がほしいのだろうと思うのである。

私はJazzが好きで、過去のいろいろな名演をコピ−したいと思っている。
特に好きなのがカウント ベイシ−時代のレスタ− ヤングというサックスプレ−ヤ−の演奏である。
自分で新しいアイデアを演奏するよりも、私は過去の名演をフルコピ−してその時代の雰囲気に浸ってみたいもんだと思っている。
写真のサックスは弟のアルトだが、私はレスタ−と同じテナ−が吹きたい。
今は合法的に楽隠居を目指しているが、その為には今回の「移転3か年計画」を粛々と実行するしかないだろうね。


 

| じじいの独り言 | 09:11 | comments(0) | trackbacks(0) |
寝ていただけの7年間
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こんにちはikeです。

おとなしく寝ています
私は2017年の年初に「今年は良い年になりそうだ」と漠然と思っていたが、実際には年明け早々から訃報ばかり受けて冴えない気分で過ごしている。
3月までの間に、親しい人たちの訃報が3件に入院の連絡が1件ではどうにもならん。
ただ、個人的には年初の目標であるリスタ−トのための目標である「捨てる」という行動は確実に進んでいる。
なんか後ろ向きな事ばかりに対処しているみたいだけど、今は準備期間だと思っていろいろな出来事に向き合っていかなきゃイカンのだろうね。

私は42歳の時にアロハ屋を始め現在まで商売を続けているが、そのピークは2009年だったと思う。
その当時は商売に必要な『人、物、金』と云うすべての要素が揃っていたし、何よりも自分自身にツキがあったと思う。
私も調子に乗って、余計な商売に手を出したりしたもんだ。
だが、そんな勢いも翌年には無くなって、それから先は現在に至るまで落ち目が続いている。
まぁ、酒くらいは飲めるけど、とてもじゃないが 贅沢は出来ん。
これじゃ、ただ息をしているだけであろう。
こんな状況に陥ったのは、私に油断があったからだと思う。
ツキの波に乗っている時こそ幸運の女神が逃げないようにせにゃならんのだが、私は調子に乗って遊んでいたのである。
そして、一旦でも落ち目になれば復活するのは難しい。
ツキが落ちてから 今年で7年になるが、やっと普通の状態に戻ってきた程度である。
そんな普通の状態すらも維持出来んのだから世話がないよね。
それこそイギリスの『ハード ブレクジット』じゃないけど、強制的に急激な変化を要求されているような状況なのである。
まぁ、それが運命であるなら受け入れるしか無かろうが、このツケは倍にして取り返してやろうと思う。
それこそハワイの別荘くらいじゃ我慢できんわな。
それくらいの苦痛にあふれた7年間を私は過ごしてきたのである。
そんな私に対して、また試練を与えるなんて許せん行為だと思うわけだ。
私は普通の生活を望んでいるだけなのに、勝手にハードルを上げたのが誰なのかはわからん。
もし、それが神ならば、私は悪魔と組んで反逆するけどね(笑)

今年のテーマは『捨てる』だったはずなのだが、実際のところ、私は運命に捨てられたのかもしれん。
ならば、それで上等である。
私は短気な江戸っ子なのだから、自棄になって頑張るだけじゃないか。
私の邪魔をするなら、その相手が神であっても叛逆しまくるしかないと思う。
私はじじい2号の遺志を継いで事業を継続するしか無いのである。


 

| じじいの独り言 | 07:22 | comments(0) | trackbacks(0) |
南風が吹くと
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こんにちはikeです。

単なる酔っ払いのオジサンです
昨日の午後から強い南風が吹き始め、春の嵐はまだ治まらない。
今朝は目覚めてすぐに外に出て、雨混じりの南風に向かって深呼吸をしてみた。
心の中に溜まっているモヤモヤした気分を、強い南風で吹き飛ばしたかったからである。
ネットフェンスに絡まった雑草が吹き飛ばされるようなイメージで、私の心に溜まっているブルースもさっぱりしてほしいものなのだが…

ある説に拠ると、南風が吹くと事故や犯罪が増えると云うのだが、私には何となく理解できる。
まったく根拠の無い理屈なのだが、強い南風には私たちの気分を高揚させる何かが在るような気がするのである。
こればっかりは理屈じゃなくて、DNAに訴えかけるような力強い何か特別な力を感じるのだ。
たぶん、南風には人間の本能的な部分に訴える効果が在るに違いない。
些か不謹慎であるが、その効果が悪い方に働けば、事故や事件が起こるのも不思議ではないと思う。
別に犯罪を容認している訳では無いが、強い南風にはそれだけの精神的な作用が在るのだろう。
私はその効果をプラスの面で利用したいのである。
私には強い南風が吹くとツキ始めると云うジンクスが在るのだが、たぶんそんな精神的な効果を理屈で説明出来ないために、漠然とした『ツキ』という言葉で表現しているのだろう。
本当は、台風一過の晴れた時に吹く南風が最高なんだけど、今朝のような雨混じりの状況だってかまわない。
とにかく南風が吹けば私の気分は最高なのだ。
今回の嵐が私に何を運んでくるのかはわからんが、たぶん素晴らしい何かに違いないと思う。
それを期待しているわけしゃないけど、少なくとも自分の気分はハイになったと思うね。

強い南風が吹くと、我が家では庭木の掃除をせにゃならん。
それが面倒なのだが、それでも南風は大歓迎だ。
停滞気味の状況が変わるような気もするし、本能的な喜びが感じられるからである。
精神的な落ち込みを本能的な高揚感でカバーするのもいいもんだ。


 

| じじいの独り言 | 08:21 | comments(0) | trackbacks(0) |
次は自分の番かもね
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こんにちはikeです。


2017年に入ってから、自分自身のペ−スとしては特に「可もなく不可もなく」といった感じで平凡な時間が過ぎているのだが、私の周囲ではいろいろな出来事が起こっている。
悲しい訃報が飛び込んできたり、新たな事業を起こす仲間が居たり、いろいろな変化が起こっているわけだ。
私自身には特別なネタは無いが、ただひたすら周囲の変化に巻き込まれて翻弄されているような気がする。
そんな状況の中で、少しずつ私も変わってきているのかも知れないね。

15日の晩に高校時代の同窓会があった。
恩師の定年退職のお祝いも兼ねて14人ばかりの仲間が集まったわけだが、昔のパ−坊仲間もいつの間にかオッサンになっていた。
まぁ、誰だって年を喰えば髪は薄くなるし、体力だって落ちるだろう。
これが「あの」有名な暴力学校のOBかと思うような、普通のオッサンの集まりなのである。
もちろん、鉄拳制裁が得意だった恩師だって、今ではにこやかな爺さんになっているわけだ。
我が母校は都内ではそこそこ有名な暴力高校だったが、その反面で変わり者が集まる混沌とした校風だったと思う。
朝の通学時から喧嘩をして血だらけの奴の横で楽譜を読んでいる奴も居る。

夜遊びをして眠そうな奴も居れば、熱く映画を語る奴も居るわけだ。
つまり、単なる暴力学校じゃないわけだ。
私なんぞは授業が終ると近所の喫茶店で私服に着替え、新宿や渋谷に遊びに行った。
そこで、楽器を持った仲間に会ったり、酒を飲んでいて、うるさく騒ぐ奴を見かけたら隣のクラスの映画好きだったりしたもんだ。
みんなそれぞれに自分の夢を追いかけていたが、その中で私は自分が何をやりたいのかがわからなかった。
モラトリアムの真っ最中だったのだろう。
それでも必死で、何かを探していた時期なんだろうね。
そんな時代の仲間に会えば、気分は最高である。
今ではみんな自分の道をしっかり歩んでいるし、それなりに家庭の悩みも持っている。
私みたいにフラフラしている奴も居るのだろうが、そんな奴らは連絡もつかん。
それでもみんな渋太く生きているだろう。
最近の冴えない気分を忘れるためには、こんな集まりに参加するのも面白いもんだ。
あの頃の気分に戻ってやり直しせにゃならんよね。

同窓会では同級生たちの活躍をずいぶん聞かされたが、これは気分が良いもんだ。
そんな話を聞けば、自分も頑張らなきゃならんと思うじゃないか。
私も負けずに派手なバカ騒ぎを続けたいもんだと思う。
高校時代は愉快なバカ騒ぎの連続だった。
そんな日々を再現したいもんだよね。


 

| じじいの独り言 | 07:20 | comments(0) | trackbacks(0) |
2017年04月16日のつぶやき
13:45
現在というタイム感覚 https://t.co/kaP9Oi8Daj #jugem_blog
| じじいの独り言 | 02:41 | - | - |
現在というタイム感覚
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こんにちはikeです。


私たちは常に現在を生きているのだが、この現在と云うモノは厄介である。
たった1秒前でもそれは過去であり、私たちはそれを取り戻せない。
私なんぞは後悔してばかりの人生を送っているから、特にそんな些細な事が気になるのだろう。
つまり、現在なんて在っても無くても同じなわけで、自分のやってしまった事だけが真実なのかも知れんな。

私は三島由紀夫先生の遺作になった『豊穣の海』という作品を、若い頃から定期的に読み返している。
何度も読んでいるのには理由があって、私にはその内容が理解出来んのである。
あらましを語れば、主人公が輪廻転生して彼の友人の前に現れる物語なのだが、その生まれ変わりが厄介者ばかりなのだ。
そして、最後に現れた生まれ変わりは偽物だったりする。
そして終いにゃ、すべてをひっくり返すようなオチが待っているわけだ。
1章から4章まで真面目に読み続けてきて、最後に卓袱台返しじゃ読者だって救いが無いわな。
ただ、物語を通して語られる仏教の教義は素晴らしいものだ。
なまじな坊さんの説教より、仏教の本質を突いていると思う。
それにしても、私はなんでそんな難解な物語に執着しているのだろうか?
その理由は自分でもわからんが、たぶん物語の中に隠されたメッセージが知りたいのだろう。
この物語の中では、過去から続く大きな流れが描かれている。
登場人物を変えながら、その流れは続いていくわけだ。
そして最後にその流れは途切れて意味不明な結末を迎えるわけなのだが、ここに何かのメッセージが隠されているに違いないと私は思っている。
基本的には過去が存在するからこそ、その結果として現在の状況が生まれてきているわけである。
そして、それがあるポイントで途切れる。
この物語の中では未来は何も語られていないし、過去から続く現在だって最終的には否定されてしまっている。
私は未来が必ずやって来るとは思っていないわけで、常に現在の事しか考えていない。
そんな考え方を肯定してくれるような、何か特別なメッセージが私は欲しいのかも知れんな。
そして、そんなメッセージがほしくなると、私は豊穣の海を読み返すのである。

この作品の最終原稿を仕上げた直後に三島由紀夫先生は市ヶ谷の自衛隊駐屯地で割腹自殺をする。
私は彼の思想とこの作品は全く関連が無いと思う。
そして、この物語の最後の部分がまったく意味不明な事も、彼のその後の行動とは関係がないだろう。
自分の作品に対してそんな中途半端な事をするような作家じゃないからね。
そして私はこの作品に隠された、時間軸のずれた不思議な世界を読み解きたいと思っているだけなのだ。
 

| じじいの独り言 | 13:45 | comments(0) | trackbacks(0) |
平凡な組合せから生まれるもの
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こんにちはikeです。


私はWin3.1の頃にPCを始めて、ワードとエクセルを使いまくった。
その当時としては平均的なPCユーザーだと思うが、残念な事にそのレベルで進歩がとまってしまった。
つまり、基本的な使い方を覚えただけで燃え尽きてしまったようだ。
PCなんぞは使えて当たり前で、肝心な部分は『それを使って何をやるのか』を考える事なんだよね。

この世の中には便利な道具が幾つもあり、私たちはその恩恵を受けているが、その機能を自分がサボるためにフル活用している。
まぁ、人間としちゃ当然の事であるが、それだけじゃ勿体ない気がするね。
私ごときが言う事じゃないけど、この感覚はPCに始めて触れた時代に拠って違うと思う。
私たちの世代は第一世代の最後の方で、PCの基本原理もわからずに、スポ根体質の特訓に拠って操作を覚えただけだ。
言い訳がましいとは思うが、これでは大きなビジョンは描けない。
確かにワードやエクセルは使えるようになったけど『それがどうした?』ってだけの事だよね。
そこにはビジョンも何も無いわけだ。
私たちはこんな環境でPCに触れた世代なのである。
それを時代のせいだけにするのは良くないが、凡人のレベルはこんなもんだろう。
私の飲み仲間にはIT業界で成功した人間が2人居るが、彼らは私より上の世代である。
彼らはITバブルの波に乗り、一時期はとんでもない成功をおさめたが、その後に億単位の負債を残して倒産した。
この2人に共通するのは、理系脳であるところと、異様にポジティブなところだ。
もちろん地頭は良い。
だが、それだけじゃない『何か』が間違いなく存在するわけだ。
それがビジョンじゃないかと思う。
彼らのイノセントな感性は、私たち凡人と違った何かをキャッチするのだろう。
そう考えると、どんな時代にも『天才』『秀才』『凡人』は居るのだろう。
私はPCに関しては凡人どころかバカである。
だが、それに気が付かない程のバカじゃない。
こうやって、言い訳をする程度の脳味噌は在るのである。

さて、私は幾つかの便利な道具をつかっているが、それは単なる一次的な使用である。
それを使って何をするかが大事なんだよな。
何処にでも在る物を組合せて、まったく別の用途を考え出すのも面白いよね。
PCやモバイルと既存の何かを組合せて面白い事ができないもんかね。
謎かけみたいなもんだけど。

 

| じじいの独り言 | 15:22 | comments(0) | trackbacks(0) |