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現在というタイム感覚
JUGEMテーマ:日記・一般
こんにちはikeです。


私たちは常に現在を生きているのだが、この現在と云うモノは厄介である。
たった1秒前でもそれは過去であり、私たちはそれを取り戻せない。
私なんぞは後悔してばかりの人生を送っているから、特にそんな些細な事が気になるのだろう。
つまり、現在なんて在っても無くても同じなわけで、自分のやってしまった事だけが真実なのかも知れんな。

私は三島由紀夫先生の遺作になった『豊穣の海』という作品を、若い頃から定期的に読み返している。
何度も読んでいるのには理由があって、私にはその内容が理解出来んのである。
あらましを語れば、主人公が輪廻転生して彼の友人の前に現れる物語なのだが、その生まれ変わりが厄介者ばかりなのだ。
そして、最後に現れた生まれ変わりは偽物だったりする。
そして終いにゃ、すべてをひっくり返すようなオチが待っているわけだ。
1章から4章まで真面目に読み続けてきて、最後に卓袱台返しじゃ読者だって救いが無いわな。
ただ、物語を通して語られる仏教の教義は素晴らしいものだ。
なまじな坊さんの説教より、仏教の本質を突いていると思う。
それにしても、私はなんでそんな難解な物語に執着しているのだろうか?
その理由は自分でもわからんが、たぶん物語の中に隠されたメッセージが知りたいのだろう。
この物語の中では、過去から続く大きな流れが描かれている。
登場人物を変えながら、その流れは続いていくわけだ。
そして最後にその流れは途切れて意味不明な結末を迎えるわけなのだが、ここに何かのメッセージが隠されているに違いないと私は思っている。
基本的には過去が存在するからこそ、その結果として現在の状況が生まれてきているわけである。
そして、それがあるポイントで途切れる。
この物語の中では未来は何も語られていないし、過去から続く現在だって最終的には否定されてしまっている。
私は未来が必ずやって来るとは思っていないわけで、常に現在の事しか考えていない。
そんな考え方を肯定してくれるような、何か特別なメッセージが私は欲しいのかも知れんな。
そして、そんなメッセージがほしくなると、私は豊穣の海を読み返すのである。

この作品の最終原稿を仕上げた直後に三島由紀夫先生は市ヶ谷の自衛隊駐屯地で割腹自殺をする。
私は彼の思想とこの作品は全く関連が無いと思う。
そして、この物語の最後の部分がまったく意味不明な事も、彼のその後の行動とは関係がないだろう。
自分の作品に対してそんな中途半端な事をするような作家じゃないからね。
そして私はこの作品に隠された、時間軸のずれた不思議な世界を読み解きたいと思っているだけなのだ。
 

| じじいの独り言 | 13:45 | comments(0) | trackbacks(0) |









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