JUGEMテーマ:つぶやき。
こんにちはikeです
関東地方は梅雨明けしたものの、まだ戻り梅雨みたいな陽気が続いている。
私はアロハシャツで過ごしているので、多少は楽だけど、この気温でスーツじゃ大変だと思う。
ここ数年でノータイ・ノージャケのスタイルが増えたが、当然っちや当然の話だろう。
さすがにアロハシャツで出勤している人を見た事は無いが、そんな豪傑もどこかには居るんだろうね。
ハワイだと、アロハフライデーというシステムが在るのだけど…
日本人は我慢が大好きで、それを美徳と思っているのかも知れん。
私の世代までは間違いなく、そう信じていた筈だと思う。
だいたいが、こんないい加減な私ですら、ある程度の我慢はするのである。
今となっては手遅れだが、私も余計な我慢なんてしなければ良かったと思う。
言いたい事をハッキリ言っていれば、自分にとっても相手にとっても、余計なひと手間を省けた筈なのだ。
お互いが相手の事を気にして余計な気を遣い、その果てに疲れていてしまっては意味がないだろう。
意味がないどころか、そんな行為は時間のロス以外の何物でも無いわけだ。
くだらない我慢なんてせずに、その場でハッキリさせれば済む事なのである。
だが、日本人にはそんな習慣は無いわけで、そこで我慢を強いられるのだろう。
リーマン時代の私は、そんな我慢が多くストレスの塊みたいな生活を送っていたね。
まぁ、管理職の端くれであれば仕方がない事なんだろう。
そんなメンタルな話はさて置き、当時のリーマン社会にはまだ残酷なドレスコードが活きていて、暑い夏であろうともスーツにネクタイを強要されていた。
朝の通勤時は本当に面倒だったね。
緩めたネクタイは干物みたいに首からぶら下がり、脱いだジャケットは手に持って電車に揺られたもんである。
非合理的なシステムなんだけど、それがドレスコードとして決められていたのである。
こんな間抜けな習慣も相手が居るから止められなかったのだと思う。
自社の都合だけならどうにでもなるが、得意先がスーツにネクタイで仕事をしているのに、アロハにビーサンで打合せに行くのは無理だろう。
そんな余計な憚りがあったから、なかなかドレスコードの改善が出来なかったのだと思う。
どこかの上場企業の社長が「我が社はアロハシャツを夏季のユニフォームとして社員に支給します」とか、言ってくれないかね?
ちなみに…アロハファクトリーでは1年中アロハシャツの着用を義務付けているのだが。
日本人は規律を守ると思うが、それが必ずしも良い効果を導くわけではない。
場合に因っては、柔軟に規律を応用するべきなのである。
規律を遵守するだけでは、本来の意味が失われてしまうのだ。
私も偉そうな事は言えないが、今になってみればずいぶん痩せ我慢をしていたわけである。
規律を運用するには、常に例外を考えておかなきゃならんのだろうね。